初代『ゴジラ』監督、本多猪四郎氏の妻・みき夫人「ゴジラの誕生日」に死去

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アニメ映画『算法少女』の公式アカウントが、11月5日特撮映画『ゴジラシリーズ』の初代監督である本多猪四郎氏の夫人、本田きみさんが去る11月3日に亡くなったことを発表した。享年100歳だった。

『算法少女』の公式アカウントは「算法少女とは関係ないですが、ここに書けば特撮マニアの方々にもお伝えできるかと思いまして」ときみ夫人の訃報を伝えている。


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きみ夫人は1939年、助監督修業中だった本多監督と結婚。当時の日本は太平洋戦争の開戦直前で、本多監督は1946年の帰国までに3度徴兵。その間、夫人は夫の留守中の自宅を守っていたという。

その後、本多監督は1954年に日本初の本格的怪獣映画『ゴジラ』を監督。世界的な映画監督となった後も夫を支え続けていた。

平成に入った1993年には本多監督が死去。死後からおよそ20年後の2012年には、本多監督との50年以上の結婚生活および本多監督の親友だった黒澤明監督との逸話を書いた書籍『ゴジラのトランク ~夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』(宝島社)を上梓。


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本多監督のみならず、戦前の映画界を知る人物としてトークショーなどにも出演していた。

奇しくもきみ夫人が亡くなった11月3日は、夫の代表作である『ゴジラ』(1954年)が公開された日であり、同日には東京日比谷でゴジラの誕生日を祝った「ゴジラ・フェス2018」というイベントも開催されていた。

本イベントには初代ゴジラの着ぐるみも特別出演し、不思議なことに、同じ日に本多監督を支えづけた夫人が亡くなったことに対し、ゴジラおよび夫・本多監督との強い絆を感じたと語るゴジラファンは非常に多くいたようだ。なお、TwitterなどのSNSではきみ夫人への冥福を連日祈る言葉が多く書き込まれている。

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(安坂由美彦 ミステリーニュースステーション・ATLAS編集部)

画像『ゴジラのトランク ~夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情

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Source: ATLAS

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