礼楽(れいらく)前(さき)に駈(は)せて真道後(しんどうのち)に啓(ひら)く

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 これは仏教の言葉です。『中杉弘のブログ』では、これをやっています。百田尚樹先生の話にからめて考えてみたいと思います。

 百田尚樹先生が『日本国紀』という本を出版されて僕も買いました。この本で間違っているところが多々あります。左翼陣営もかなり突っ込んできています。それでも良いのです。

 それを言うのがこの言葉です。礼楽(れいらく)前(さき)に駈(は)せて真道後(しんどうのち)に啓(ひら)く本物の教えはだんだんよくなっていくのです。それでよいのです。

 百田尚樹先生がまず、『日本国紀』という通史を書かれました。立派な本です。僕もそのように思います。その中に間違いがあろうと、見方が違うなど、それは色々とあります。それは後からやっていけばよいのです。

これが、歴史のたたき台として、「本当の歴史はこうだ!」という本が沢山出てくるのだと思います。これは僕だけではありません。様々な人が重ねていき、日本の歴史ができてくるのです。「これしか読んではいけない」というものではありません。

 むしろ、百田尚樹先生から言えば、「様々な意見を言ってきてもらいたい」と思っているはずです。それによってまた次の本が出来るのです。これで終わりではないのですから、それでよいではないですか。

 仏教によると、孔子の説いた礼楽が先に出て、後に真道(仏教)が啓くのです。「礼楽が出てから、その後で本物の仏教が出てくるのだ」という考え方です。それと同じです。

 大いにこの本が議論の対象となり、侃々諤々(かんかんがくがく)と日本の歴史に対して皆さんが発言をして、大いににぎやかになってもらいたいと僕は思っています。「これはこうだった」「これは違うだろう」と議論をにぎわせていくのです。すると素晴らしいものが出来てきます。

 これから、日本の歴史を書いた類書は何冊も出てくると思います。僕も書こうと思っているのですから、「俺にも歴史を書かせろ!」という連中が沢山出てくると思います。様々な人が日本の歴史書を書いて、そのたびによくなっていけばよいのです。

 百田尚樹先生の本は大事なたたき台です。そのように思って本人も書いていると思います。「これが最終だ」と思って書いているわけではありませんから、それでよいのです。良いものをみんな書きましょう。志ある者は、大いに日本の歴史を創っていこうではありませんか!

 国民みんなで創るのが、本当の日本の歴史です。一人や二人の歴史書でわかるわけがないのです。ただし、突っ込みの視点が大事です。幕末には水戸学があり、水戸学の影響を受けて頼山陽などの国学者が大勢出てきて、「日本の歴史とはこうだ!」という、大枠を教えたのです。

 明治の志士達は、頼山陽の『日本外史』を抜粋した小雑誌をもっていたのです。それを読んでみんな発奮したのです。何が書いてあるのかというと、「日本国は天皇のものだ」ということが書いてあるのです。

 当時は江戸幕府の支配下ですから、誰も敵う人間はいないと思っていたのです。その中で頼山陽が『日本外史』で、「この国は天皇から始まっている。天皇こそ主人である」という内容の本を書いたのです。

 例えば、天皇が出てくると、1段上に書き、将軍が出てくると一段下に書かれているのです。そのように工夫して書かれていたのです。それを読んだ人は、「天皇が如何に有難いか」ということが、わかっていたから、明治維新は成功したのです。

 明治維新は、頼山陽の『日本外史』が原動力になったのです。歴史というものは、その国に生きる人にとっての原動力になるのです。「そうか、こんな立派な国だったのか!」とわかって感動するのです。

 僕の知り合いで「日本人に生まれて恥ずかしい。来世は日本人に生まれたくない」という人がいます。このようなことを言う人は馬鹿なのです。自分の国を誇れないで何を誇るのでしょうか? 

 自分の国が誇れるように、歴史を書いてあげればよいのです。「我々はこんなに立派な歴史をもっているのだ」と感動することが、どれだけ力になるかわかりません。「日本はダメな国なのだ。従軍慰安婦、従軍看護婦、南京大虐殺をやった、極悪非道の国だ」というウソは、ダメなのです。

 「日本に生まれたくなかった」という人の話を聞くと、日本の戦争の資料を集めて、「ここでも人殺しが行われている」「あそこでも人殺しが行われている」と言うのです。それは戦国時代の話です。「ずっと人殺しが行われてきたのが、日本の歴史だ」と考えているのです。

 それは違うでしょう。諸外国の戦争の歴史と日本の戦争の歴史は、全く違います。諸外国の戦争は皆殺し(genocide)です。ヒストリーチャンネルで、「バイキング」というテレビドラマがありました。バイキングが船に乗って、「これから仕事に行く」と言うのです。「仕事」というのは、「ドロボウに行く」ということです。

 船に乗って島を襲い、教会があるといきなり攻め込むのです。バイキングは、教会の中にいる坊主をみんな虐殺するのです。十字架も、聖杯も、お宝は全て奪っていくのです。西洋の戦争とは皆殺しです。

 お城に攻めていく場合でも皆殺しにするのです。一人も生かしておきません。生かしておくのは、奴隷にする者だけです。「奴隷で売れる」と思った人間だけ生かしておくのです。奴隷でも暴れる奴隷はいりません。武器を持ってブンブンふり回すような奴はその場で殺してしまうのです。「奴隷として売れる」と思った男と女だけ連れていくのです。女はセックススレイブです。残ったジジイ、ババア、子供は全て皆殺しです。

 ローマ軍は、一日に10万人~20万人という虐殺を行ったのです。ローマ軍が攻めると、街が一つなくなってしまうのです。ローマはカルタゴを全滅させたのです。有名なハンニバルもローマ軍に殺されて、最後は作物が実らないように土地に塩をまかれたのです。これが西洋の戦争です。戦争即皆殺し(genocideです。

 日本の戦争は、皆殺し(genocideなどしません。お互いに仲間です。領地をめぐっての争いだから、領民を殺したりはしないのです。領民を殺してしまうと、米をつくる人間がいなくなってしまいますから、領民は殺さないのです。

日本の戦争は支配者階級のだけの争いです。上だけで決着がついて、領民はそのままで、領主が代わるだけです。そのような戦争と皆殺しの戦争と意味が違います。

 『三国志』を読んでも全て皆殺し(genocideです。人口が1千万人いたら、100万人に減ってしまうのです。しかも、シナ人は人間をぶっ殺して食ってしまうのです。日本の戦争は外国の戦争と全然違うのです。外国の戦争は罪もない人を襲うのです。

 ジンギスカンもそうです。「言うことを聞くか?」と聞いて、「はい」と言えば殺しません。「きかない」と言えば、皆殺しです。鍋釜に生きたままの人間を入れて、人間を食ってしまうのです。こんな恐ろしい連中が襲って来たら、とてもではないですが、生き残ることはできません。

 ジンギスカンの逸話があります。「人生の一番の楽しみは何か?」と部下に聞くと「女とデートをしたり、美味しい物を食べたり、酒を飲んだりすることが一番幸せだ」と言うのです。ジンギスカンは、「何を馬鹿なことを言っているのか。人生の最大の楽しみは、泣き叫ぶ女を引きずりまわして、主人を女の前でぶっ殺して、その女を犯すのが人生最大の楽しみだ。まだお前は修行が足りない」と言ったというのです。これは、逸話です。本当かウソかわかりませんが、こんな話があります。

 戦争とはそのようなものです。日本の戦争は秩序ある戦争です。戦争により天皇はなくなりません。「日本人に生まれたくなかった」など、馬鹿なのです。こんな幸福の国に生まれておきながら、何と言う馬鹿なことを言っているのでしょうか? 情けない奴です。馬鹿としか言いようがありません。

 礼楽(れいらく)前(さき)に駈(は)せて真道後(しんどうのち)に啓(ひら)くです。百田尚樹先生が、『日本国紀』を出したのですから、誰もが誇れるような日本の歴史書を次から次へと出していき、歴史を直していけばよいのだと思います。

 

 

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Source: 中杉 弘の徒然日記

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