病状記――『七秒しか記憶がもたない男』 デボラ・ウェアリング

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七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで
デボラ・ウェアリング
武田ランダムハウスジャパン

 「回想や記憶をもたずにこの瞬間を生きろ」というのが神秘思想や禅の教えである。私は過去の想起による悲哀の痛みを味わってきたので、過去の遮断による苦痛の削除という考えは正しいものだと思っている。

 しかし世間やメロドラマでは、「思い出こそがすばらしい、過去こそが私である」といった考えのメッセージが当たり前である。思い出にひたれば感傷的な感情がコントロールできない痛い目に会うし、だいいち過去なんてこの世のどこにもう存在しないものだ。存在しないものを追う考えが、ほんとうにすばらしいものなのか。

 この整合性がとれないので、しばらく記憶や想起の問題に手をのばしている。記憶喪失物語に、現代の私たちは自己のなにを賭けているのか、そのへんを言語化してつかみたいと思っている。

 この本は、ある意味、神秘思想家が理想とするようなこの瞬間だけを生きる人間のナマの姿を見ることになる。記憶を維持できないと、日常生活もおこなえず、この瞬間はたえず目覚めたはじめての瞬間になるのである。その状態がひたすらくりかえされる。

 禅や神秘思想の瞬間主義というのは、なんらかの記憶は温存されていないと、ふつうには生きていけない。想起や思い出しはやめておけというわけだろうか。禅を字義通りにうけとると、日常生活も送れない病者になってしまう。

 この本は、ウィルス脳炎によって記憶の海馬を破損された夫の初病記を、妻が記したものである。さいしょはインフルエンザとしか医者には診断されていない。その原因が診断されるのはずっと後からで、その間ずっと脳は破損されていたことになる。

 発病の三か月前にふたりで記憶障害の雑誌を読み、議論をくりかえしたという。夫は音楽家でハードワークがたたっており、願望的なものが引き寄せたのかもしれない。

 妻による病状記であって、専門的な議論は期待できない。夫は記憶がその場からもれてゆき、とどめることができない。この瞬間に目覚めてはじめての出会いを喜び、ふたたびその元の状態に戻る。妻とはその会話がえんえんにくりかえされる。そのようなちっとも進まない病状記である。

 時間がない存在というのはまさにこのような存在であるわけだが、ここではその状態が深く考察されているわけではない。記憶力がない人間は、その場その場が新しい瞬間であり、日常生活もままならないのである。

 妻は夫とひと回りは年下であり、夫の介護施設をととのえる尋常ではない努力をしたのち、回復の見込みのない夫と、三十代で子どもをもてない人生に焦燥を感じて、夫と離婚を決意する。イギリスから、ニューヨークやギリシャに住んでみたりして、この苦しみの多い生活から離れようともがく。だれも責めることはできない。

 時間や記憶がないことの考察がもっとおこなわれていれば、参考になる本になっただろうが、病状経過記のようなものであって、そのようなものを期待した向きにはこの本は合わないかもしれない。

 いまやこの瞬間を生きろといっても、記憶を足場に立たないと、なにごともおこなえないのがこの本の教訓だろう。

失った記憶 ひかりはじめた僕の世界 ―高次脳機能障害と生きるディジュリドゥ奏者の軌跡壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)記憶喪失になったぼくが見た世界 (朝日文庫)

Source: 考えるための書評集

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